こんにちわ、まちづくり委員会の木口と申します。40歳となり、青年会議所最後の年・そして卒業月となり、最後の投稿となります。
40歳、これを最初に感じるときに「不惑」という言葉をいつも思い出します。不惑と何かと申しますと、孔子の論語に「四十而不レ惑(40歳になってからは、道理を明らかにし、物事に惑うことがない)」という言葉から来ております。
この言葉を知るきっかけになったものが、昔、南海ホークス(現在ソフトバンクホークス)の選手であった門田博光さん(昨年残念ながらお亡くなりになりましたが・・・)が40歳でホームラン王と打点王になり、「不惑の大砲」と呼ばれるようになりました。高校時代、硬式野球部でいろいろな打者のスイングのスライド写真が載った雑誌を読んでいるときに、門田さんを知ることになり、この言葉を知りました。
門田さん日本で通算本塁打が3位(567本)ですが170センチとプロ野球選手では小柄な体系であり、高校時代では一本もホームランを打ったことがなかったとテレビで語っておりましたが、南海ホークスにいた野村克也さんが打席に立っていた時、たまたま鏡から見る野村選手のバッティングフォームを見て、それが理想の左バッターの打撃であったため、それを見て参考にして打撃練習をしていたと語っておりました。(野村さんは右打ちで、門田さんは左打ちのため、鏡で見ると右打ちの打者が左打に見えます)このお二人はなかなか険のある性格で、あまり仲は良くないエピソードも多かったのですが、この時は「ほんまもんの打者がいたから、ずっと観察して研究をした」と仰っておりましたので、お互いを認めていたのは面白いと思いました。(野村克也さんは通算本塁打が歴代2位となっています)
この時の番組は「小兵」というテーマでやっておりましたが、門田さんはこの番組で「小柄だからといってコツコツ打ちなさい、なんていう教え方はよくないから、体格だけで夢はあきらめてはいけない」という言葉はすごく印象に残っております。
実際、40歳になってもジムに通って運動をしていますが、スポーツの試合などで全力で体を動かそうとすると、アキレス腱や腰などやひじを痛めてしまい、全力でやると故障するのが怖くなってしまうので、小さいころ「なんでおじさんは運動で手を抜いてるんだろう」と思ったのですが、体は正直なため、「全力でやるとけがをするのが怖い」とようやくわかるようになりました。
実際、不惑といいますが、ずっと惑いっぱなしの生活、仕事をしております。しかし現在の社会はどんどん技術の進歩や海外情勢など、いろいろなものが複雑に絡まっており、安定でいられることが難しくなってきております。
青年会議所では常々「街づくりのために我々にできることは何か」とずっと課題を考え、一定の取り組みとして事業をしてきております。会社員時代は「誰かがやってくれるんだろう」と思っておりましたが、開業して行田に引っ越しをして青年会議所に入り、当事者の一員として活動させていただいた事は、会社員時代の自分とは明らかに考えなどが変わってきたと思います。
色々犠牲になったことも正直ありましたが、加入させていただき、メンバーと交流し、活動させていただいたことは、これから先、生きている時にに「ああ、やっててよかったんだな」と思うことがあるんだろう、と感じます。
これにて、筆をおかせていただきたいと思います。青年会議所の皆様、今までお世話になりました。ということでは締めさせていただきます。
まちづくり委員会 委員 木口謙太郎