「われわれは理想に走りすぎて現実の姿を忘れてはならないと思う。」
こちらは40年代初頭に松下幸之助が残した言葉です。当時の経済発展に目を向け過ぎた日本に対して、一国としての自衛をアメリカ任せにしていることを揶揄した言葉でありました。
しかしながら、この言葉の本質は国防という観点のみにならず、人間が物事を行うときの普遍的なものであるのではないかと思います。
人は「期限」というルールを守らなければなりません。
それはなぜなのか。
私はその答えが、時間というものが人類にとって平等に過ぎ去るものであるからと考えております。理想を掲げ、その理想に向かって情熱をもって行動していくことは、時に他人の心さえも動かしてしまうほどに強烈な力を持っています。しかしながら、何か事を起こし、そして事を成すときには「期限」という時間のルールがあります。究極のところ人間には寿命があり、無限の期間を設定してゴールを定めることはできません。
では、必ず達成できるゴールを定める必要があるのでしょうか。
現実を見て、自分の能力を見極めて、費やせる時間と資金の状態を把握して、完璧なスケジュールを設定して、ゴールに向かう。現状と自らの力量を知ることは、事を成すときにはとても重要なことではあります。しかし、自分のことを知ったと思うことで、もっと大きな何かを手にする可能性を失ってはいないでしょうか。自分で自分を知る時に、無理のないように自分に対して、低い評価をしていないでしょうか。
私は「期限」と「自己評価」が理想を追い求めることを阻害する要素であると思います。
「期限」があることが悪いのではありません。「自己評価」することが悪いのではありません。「期限」と「自己評価」が理想と向き合わない理由(言い訳)として大きい要素になり得るということです。
ここまで書いてあると、理想を追い求めないことが悪であるというふうに捉えられそうですが、理想だけ見て現実を見ないことが、どれだけ愚かなことであるかは潜在的な人間の意識として皆様も分かると思います。その愚かさについての説明は長くなってしますので、またの機会にでも書かせていただければと思います。
理想を追い求め過ぎず、現実を忘れない。そして、その精神性の中で理想の姿を求めていく。
現実としての不可能は確かにあるが、理想に向き合い行動できることの価値を今一度思い起こさせてくれる、そんな豊かな時代に生きていることに面白みを感じています。
期限守って、理想を追い求めようって難しいですね笑。
会員・組織拡大委員会 副委員長 中澤俊裕